Eyes Full of Wonder

感動したものについての雑記

灰羽連盟


 serial experiments lainのキャラクターデザインで知られる安倍吉俊原作のファンタジーアニメ。

レビュー Part 1(ネタバレなし

 lainとは全く違うテイストだが、アニメでは数少ない傑作。どこかジブリ作品と似通った雰囲気もあり、全13話とコンパクトなので普段アニメを観ない人でも十分楽しめると思う。
 まずはストーリー・世界観を簡単に紹介したい。一人の少女が「オールドホーム」と呼ばれる施設で繭から生まれ、彼女は繭の中で空から落下する夢を見たことから「ラッカ」(落下)と名付けられる。ラッカを含めたオールドホームの住人達は、頭に光輪を浮かべ背中から灰色の翼が生えた「灰羽」という存在だった。オールドホームの近くには「グリ」という街と、周囲を取り囲む高い壁があった。グリの街で働きながら共同で暮らす灰羽たちの生活が主にラッカの視点で描かれていく。

オールドホーム
 前半(5話あたりまで)は街で様々な仕事を見学・体験するラッカを通して灰羽たちの暮らしが描かれていくので、物語の大きな方向性がない能天気な日常系アニメのようだが、ラッカが色々なことを知っていくにつれて、一見平凡で苦しみがないように見える灰羽という存在の知られざる側面が明らかになっていく。前半はほのぼのとした雰囲気だが、後半はダークなトーンを帯びた話になる。「ダーク」といっても絶望的だとか残酷だとかいう意味ではない。灰羽は天使のような姿で描かれているが、闇=負の側面を持った、とても人間らしい存在であり、後半ではそういう側面に焦点が当てられていくのである。作品のテーマを一言で言うのは難しいが、「罪」という概念が一つの大きなコンセプトとなっている(もちろん法的な意味ではなく、倫理的な意味で)。安倍吉俊氏によれば「救い」がテーマだということだが、それは「罪」に自然に付随する概念だろう。
 世界観や灰羽という存在の背景や起源について作中で明示的な説明があるわけではないので、ミステリアスな雰囲気があり、ストーリーやキャラクター、やわらかいタッチの絵や音楽を含めて、とても美しい作品である。


以下ネタバレあり

Part 2(ネタバレあり

 総評はPart 1に書いたので、ここからは個人的な解釈や考察を書きたい。まあ、あくまで個人の解釈なので、「そういう風に見ている人もいるのか」という温かい目で読んでください。

灰羽灰羽の世界
 灰羽たちは、灰羽として生まれる前の「前世」があったことがストーリーが進むにつれて明らかになる。その前世に灰羽たちがいた世界は「壁の外」にあるのだろう。「壁の外」というのは文字通りの意味ではなくて、灰羽たちのいる世界の外、別の世界ということのメタファーかもしれない。前世で死んだときの光景を反映した夢を見ながら、灰羽は繭から生まれてくる。
 灰羽たちの世界は、現世で死んだ人が生まれ変わる(か成仏する)までに滞在する世界なのかもしれない。そこで灰羽として、何か未練を果たしたり(例えばクウは、ラッカという後輩が来たことで人の手本になりたいという願いを叶えられた)、罪の赦しを得たり(ラッカやレキ)して、再び現世に生まれ変わる(巣立ち)のかもしれない。まあこの解釈の場合、なぜそこに人間もいるのかという疑問が残るが、そこに一つの世界があって、そこには人間がいて暮らしているというだけで、特にそこに理由を求める必要もないのではないかと個人的には思う。また、下のインタビュー動画で、上田耕行氏が、自分たちの描きたいファンタジー世界は我々の世界と地続きのものだという話をしている。このことが反映された灰羽連盟のファンタジー世界に、現世と同じように人間が住んでいるのは世界設定として自然なことだろう。

ラッカ
 ラッカは前世で、自分の存在する意味を見失い、居場所がなくなったと思い込んで絶望し、多分クウがいなくなった後と似たような状態になって、高いところから飛び降りて自殺したのではないだろうか。その時、両親か友達か、誰かラッカにとって大切な人でラッカを助けようとした人がいたが、(おそらくラッカは誰にも必要とされていないと思い込み続けて)結局死んでしまい、その人を傷つけた。それを反映して、ラッカはカラス=助けようとした人に引っ張られながらも落下していく夢を見たのだろう。
 それでも、ラッカが死んだあと、その人はラッカを赦したのではないだろうか。だから、ラッカは灰羽として生まれたときは罪憑きではなかった。けれど、クウという大切な友人を失ったことで再び現世で自殺した時と同じ鬱状態になってしまい、同じ「罪」を繰り返したことで翼が黒くなり、後天的に罪憑きになってしまった。その後、カラスに導かれて自分の罪を認識し、(おそらくはカラスとして象徴されていた誰かから)罪を赦されたことで羽は灰色に戻った。

レキとラッカの「罪」は本質的に同じ?
 キリスト教では自殺はそれ自体で罪だが、灰羽連盟キリスト教をベースにした作品ではない。実際、安倍吉俊氏本人がインタビューで「特定の宗教についての話ではない」と明言している。

 それに、もし自殺それ自体が罪なら、ラッカは罪憑きとして生まれているはずである。(「落下する夢」という状況証拠からもそうだが、性格的にも、ラッカが前世で自殺したというのはほぼ間違いないだろう。クウが去って塞ぎこんでいた時も、「私なんていなくなっちゃえばいい」とまで自分を追い詰めていた。) つまり、レキが罪憑きとして生まれてきた原因は自殺したことそれ自体ではない。
 西の森で話師はラッカに、罪は自分で赦すものではなく他者に赦されるものだと説いた。つまり、当たり前のことだが「罪」という概念は他者がいて初めて成立するものであり、他者に対して「負う」ものである。レキは灰羽として生きてきた間、ネムをはじめ助けを求めればレキを助けたであろう人がいたのに、(最後にラッカに助けを求めたことを除いて)誰にも助けを求めず、偽りの自分を演じてきた。もちろん灰羽として生きている間にそのようになったのは過去のヒョウコたちとの経験の影響なのだろうが、もしかしたらレキは前世においても似たような体験をしたのかもしれない。レキを助けたいと願っている人に偽りの自分を見せ、助けを求めずに自滅したことでその人を傷つけることになってしまった。おそらくこれが、レキが罪憑きとして生まれてきた理由なのだと思う。だからこそ、最後にラッカに助けを求めたことで、レキの翼から黒ずみが消えたのだ。
 レキもラッカも、どんなかたちであれ「他者からの救いを拒絶したことで他者を傷つけた」という意味で、本質的に同じ罪を背負っていたのではないだろうか。

 またこれからの人生で様々な経験をした後で、3回目、4回目と繰り返して観たあとにはここに書いたことと全然違う考えを持つようになっているかもしれない。
 灰羽とは何なのか、灰羽のいる世界とは何なのか、はっきりと作品の中で明かされることはない。ここでは、現世で死んだ人が一時的に滞在する世界という自分の思った一つの仮説を書いてみたが、「灰羽とは何なのかわからない」、「灰羽たちの世界は何なのかわからない」ということの方が本当の「正解」なのかもしれない。私たち人間も、自分たちが誰なのか、なぜここにいるのか、この世界とは何なのか知らないし、永久に知ることはないだろうからだ。
 クウが巣立ったとき、ラッカは「何も分からないまま生まれ、消えていくだけの灰羽の存在に何の意味があるのだろう」とニヒリスティックな考えに陥る。だが、ラッカもレキも、ひとりではなかった。周囲に関わる人々がいて、新しい出会いもあれば、喪失もある。そのなかで悩みや軋轢も生まれ、「罪」を負い絶望することもあるが、それに対する「救い」を見出すこともできる。ただ生まれ、消えていくだけではない。そのような営みが「生きる」ということなのだと、この作品は伝えているような気がした。